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文科省、私立大学再編撤退支援。600超の私大淘汰で2040年までに2割減の見通し

日経の第一面の記事


文部科学省、私立大学の撤退支援策拡充へ

文部科学省は経営が困難な私立大学の撤退支援策を拡充する。2040年までに大学入学者は2割減る見通しで、600を超す私大は淘汰が避けられない。自主的に規模を縮小した大学への補助金増や再編支援を通じ、大学教育全体の質向上につなげる。

25日に開く中央教育審議会(文科相の諮問機関)で40年以降の高等教育の将来像について諮問し、規模の適正化に向けた具体案の検討を求める。


大学進学の価値観について

大学に行くのが当たり前となってきましたが、昭和・平成あたりの持ち家信仰(マイホームを持ってあたり前)とか、結婚旅行に行く、結婚指輪が給料の3か月分、車を買う、先輩がおごる、飲み会で接待する、などの思い込みに近いことから生じる価値観によるところが大きいのかもしれません。

つまり、実利で考えると大学に行くこと自体が損になりかねないことがしばしばあるように感じるのです。大学卒業後の各自の人生は時代、地域、学部、業界、職種、能力、運などの要素の組み合わせで決まるため、人によって結果は異なりますが、それでも各家庭・各人で考えておかなければなりません。

しかし、大人である親がおかれていた状況と子供がおかれている今の現状は全く異なります。となると、トレンドとなってしまった大学に行かせるという流れに乗るのが人情なのでしょう。ですから、この流れは今後10年20年は続くように感じます。

人口推計の際によく出てくる2040年あたりが節目になってくるのではないでしょうか?地域や時代に合わせて大学に行かなくてもよい仕事環境や価値観が形成されてくるように感じます。そして、大学自体の立ち位置の見直しが入るのではないかと思います。

といいますか、私たちが住む地域では「高校に行くこと」自体が問われ始めているように感じています。高校入試の点数云々のレベルではありません。まずは部活をしっかりやって、次に学校行事も家のことも存分にやって、最後に取り組むのが受験勉強。それでも大概は入試に通ることも多いです。ですから、高校入試において既にこの地域は入試から解放されつつあります。それは大半の人にとってはいいことのようにも感じます。

これらのことをふまえて、高校に行くとは?大学に行くとは?仕事するとは?と問い直すと、既存の価値観や慣習だらけの世界だなと思えるのです。もちろん、ふんわり考えれば、受験は大事、高校入試・大学入試は大事、仕事するのは大事なんですが、そのとおりに行ったとしても、高校も大学も会社も実はその人個人を守ってくれるとは限らない。なんなら、自分の卒業した高校や大学は閉鎖や統合によりなくなったり、会社はAIなどを理由にリストラしてきたりするかもしれません。そのとき、どう思うのだろう?と考えると、こんなことを考えたりもするのです。ちなみにそのときというのは2040年頃、子供はさらに減って今の半分の割合・高齢者は今の3倍の割合、そしてお金のない世代が高齢者になっているというとんでもない時代を生き抜く真っ只中で、それを考えるというはかなり酷な話です。それなら今、考えに考え抜いておくのがよかろうと思うのです。

勿論、未来は誰にも分からないし、情報や知識も限られた状況だけれども、それでも自分の直観や感性を信じて道を選んだり切り拓いたりすることが大事じゃないのかなと思うんですね。