~ある教師の善意と、システムの暴走~
日本の教育を語る上で、避けて通れない言葉があります。「偏差値」です。
私たちにとって、それは受験の合否を決める冷徹な数値であり、時には「人間の価値」そのもののように感じられることさえあります。
しかし、この偏差値というシステムが、実は「生徒を不合格の悲しみから救いたい」という、一人の教師の善意から生まれたことをご存知でしょうか?
今日は、数奇な運命を辿った「偏差値の歴史」について、その光と影を紐解いてみたいと思います。
理論の輸入(19世紀・欧米)
~本来は「科学者」のための道具だった~
まず、偏差値の元となる計算式(統計学)の歴史から見ていきましょう。
「平均を中心にして、データがどれくらい散らばっているか」を見るこの考え方は、19世紀のイギリスで生まれました。
発明に関わったのは、フランシス・ゴルトンやカール・ピアソンといった統計学者たち。そして1922年、アメリカのウィリアム・マッコールが、教育測定において「Tスコア(平均50、標準偏差10)」という数値を提唱しました。
これが数学的な「偏差値」の原型です。
しかし当時、欧米でこの理論はあくまで「個人の特性を知るための研究」や「診断」に使われており、日本のように「子供たちをランク付けして振り分ける」ために使われることはありませんでした。
偏差値の誕生(1957年・東京)
~「教師の勘」への絶望と、希望の発明~
私たちが知る「日本式偏差値システム」が産声を上げたのは、1957年(昭和32年)。場所は、東京都港区立城南中学校の職員室でした。
生みの親は、理科教師だった桑田徳雄(くわた とくお)氏です。
なぜ作られたのか?
当時の進路指導は、今では信じられないほど「あやふや」なものでした。
「お前なら、まあこの高校はいけるだろう」
「あいつは元気だから大丈夫だ」
先生たちは長年の経験と「勘」だけで進路を決めていました。しかし、テストの難易度は毎回変わります。簡単なテストで良い点を取った生徒を「優秀だ」と勘違いして難関校を受けさせ、結果は不合格。
当時、高校受験の失敗は、今以上に「人生の終わり」に近い絶望を子供たちに与えていました。
教え子が不合格になり泣き崩れる姿を見て、桑田先生は心を痛めました。
「教師の『勘』などという無責任なもので、子供の人生を左右してはいけない。もっと科学的に、合格の可能性を予測してあげる方法はないか?」
そこで彼が独学で辿り着いたのが、先述のアメリカの文献にあった「Tスコア」でした。
「テストが難しくても易しくても、平均を50に揃えれば、その子の本当の実力(位置)がわかる」。
桑田先生にとって、偏差値は生徒を切り捨てるための刃物ではなく、「無謀な受験から生徒を守り、適切な進路へ導くための盾」だったのです。
システムの暴走(1960年代〜・全国)
~「診断ツール」から「選別の凶器」へ~
桑田氏が開発したこの手法は、当初「画期的な発明」として教育界で称賛されました。
しかし、時代がそれを許しませんでした。高度経済成長期、そして団塊の世代の受験戦争の到来です。
「業者テスト」による全国支配
受験人口が爆発的に増え、高校側はいかに効率よく生徒を選抜するかに頭を悩ませていました。そこに目をつけたのが、民間のテスト業者です。
彼らは桑田氏の理論を大規模にシステム化しました。
関東圏、そして全国の中学生が一斉に同じテストを受け、コンピュータが弾き出した「正確無比な偏差値」が毎月届くようになります。
ここで、偏差値の目的が「逆転」しました。
- 開発者の意図: 「君の実力なら、ここが安全圏だよ」と守るための数値。
- 社会の利用法: 「君の数値は52だ。55の高校は無理だ」と切り捨てるための数値。
こうして、1970年代から80年代にかけて、いわゆる「輪切り(Wagiri)」と呼ばれる進路指導が完成します。
「偏差値50の子は50の高校へ」。そこには個人の意思や、「今は足りないけど挑戦したい」というドラマが入り込む余地はありませんでした。
偏差値は、学校と塾が「合格率」というメンツを守るための、冷徹な管理ツールへと変貌してしまったのです。
追放と皮肉な結末(1993年〜・現代)
~「真実」が有料化された時代~
「偏差値による輪切りは悪である」。
世論の高まりを受け、当時の文部省は1993年、ついに「業者テストの追放(中学校での偏差値利用の禁止)」という強硬手段に出ました。
中学校の教室から、偏差値という言葉は消え去りました。これで子供たちは救われるはずでした。
しかし、現実はさらに残酷な方向へと進みました。
「見えないもの」への恐怖
学校から偏差値が消えても、入試の合否判定には「客観的なデータ」が必要です。
学校の先生は正確なデータを持てなくなり、進路指導は再び「勘」や「不透明な内申点」に頼らざるを得なくなりました。
その結果、何が起きたか。
「自分の正確な位置を知りたければ、塾に行って模試を受けるしかない」
国が偏差値を学校から追い出したことで、皮肉にも「自分の実力を知る権利」が有料化(課金)され、データを持つ塾が、学校よりも強い発言力を持つようになったのです。
これが、現在の「都市部の課金ゲーム」や「公教育への不信」に繋がる、決定的な転換点でした。
発明者の嘆き
晩年、桑田徳雄氏はメディアの取材に対し、沈痛な面持ちでこう語ったと伝えられています。
「私は、生徒を不合格の悲しみから救いたかっただけなのです。それなのに、いつの間にか偏差値が独り歩きし、子供たちをランク付けし、苦しめる『怪物』になってしまった。こんなことになるなら、あんなもの作らなければよかった」
道具に罪はありません。しかし、それを使う社会の側に「余裕」や「哲学」がなければ、どんなに善意から生まれた発明も、容易に凶器へと変わってしまいます。
私たちが偏差値に苦しめられているとしたら、それは偏差値という計算式のせいではなく、「人間をたった一つの数字で測るほうが楽だ」と判断してしまった、私たち社会の怠慢のせいなのかもしれません。
歴史を知ることは、その呪縛から自由になるための第一歩です。
数字はあくまで数字。「自分の価値」を決めるものではないということを、忘れないでいたいものです。
【世界との対比】「偏差値」で悩んでいるのは、地球上で日本人だけ
最後に、少し視点を外に向けてみましょう。
私たちがこれほど一喜一憂している「偏差値(Hensachi)」ですが、これを入試のメインに使っている国は、世界広しといえども実は日本だけです。
これは決して大げさな話ではなく、教育学の世界でも「日本独自のガラパゴスな文化」として知られています。
海外のエリートに「私の偏差値は70だ」と自慢しても、「君は統計データの外れ値(異常値)なのか?」と不思議な顔をされるだけでしょう。
では、世界はどうやって「選抜」をしているのでしょうか?
1. アメリカ型:「オーケストラ」のメンバー選び
(キーワード:マッチング / 総合評価)
アメリカのトップ大学には、そもそも「ペーパーテストの点数順に合格させる」という発想がありません。
彼らが見ているのは、SAT(統一テスト)の点数だけでなく、エッセイ、課外活動、推薦状、そして「リーダーシップ」です。
なぜ偏差値を使わないのか?
それは、大学が求めているのが「均質な秀才集団」ではなく、「多様な才能が響き合うオーケストラ」だからです。バイオリン(勉強)が上手い人ばかり集めてもオーケストラにならないように、彼らは「大学の文化に合うか(マッチング)」を最重視するため、単一の物差しである偏差値は役に立たないのです。
2. ヨーロッパ型:「パスポート」を持っているか
(キーワード:資格主義 / 絶対評価)
ドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国では、入試は「他人を蹴落とす椅子取りゲーム」ではありません。
「アビトゥーア(独)」や「バカロレア(仏)」といった国家試験に合格すれば、それは「大学で学ぶ資格がある」というパスポートとして扱われ、原則として希望する大学への入学権が得られます。
なぜ偏差値を使わないのか?
これは「絶対評価」だからです。「一定のラインを超えた知識があるか」が問われるだけで、「平均点よりどれくらい上か」を気にする必要がないのです。
3. アジア型(中・韓):単純な「点数」の殴り合い
(キーワード:全国統一 / 素点主義)
日本と似ていると言われる中国や韓国などの受験地獄ですが、ここでも偏差値は使いません。
彼らはシンプルに、国が行う統一テストの「合計点(素点)」と「全国順位」で競います。
なぜ偏差値を使わないのか?
国が実施するテスト一発勝負であるため、日本のように「予備校ごとの模試で難易度が違うから、数値を補正(偏差値化)して比較する」という複雑な翻訳作業が必要ないのです。
なぜ日本だけが「ガラパゴス化」したのか?
こうして見ると、日本の特殊性が際立ちます。
日本でだけ偏差値が権力を持った理由。それは、日本人が世界で一番「失敗を恐れる国民」だったからかもしれません。
欧米のように「入ってみてダメなら辞める」という流動性も、アジアのように「点数一発勝負」という割り切りも持てなかった日本。
「入試での不合格=人生の終わり」と捉えるあまり、事前に合否を完璧に予測してくれる「偏差値」という予言者に、すがりつくしかなかったのです。
むすびに
「偏差値」は、私たちの能力そのものではなく、日本という特殊な島国が生み出した「不安を解消するためのローカルな物差し」に過ぎません。
世界を見渡せば、人を測る物差しは無数にあります。
一つの物差しの数字に縛られて、自分の可能性まで狭めてしまうことのないよう、時には「世界地図」を広げるような広い視点を持ちたいものです。
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【資料】偏差値の生みの親・桑田昭三氏 幻のインタビュー
~「私は生徒を救いたかっただけだ」その真意と後悔~
「偏差値」というシステムがいかに善意から始まり、そして暴走してしまったかをお話ししました。その裏付けとなる、非常に貴重な資料があります。
2010年、JALT(全国語学教育学会)の機関誌『SHIKEN』に掲載された、偏差値の生みの親・桑田昭三氏(旧姓:徳雄)へのインタビュー記事です。
晩年の桑田氏が、どのような思いで偏差値を開発し、そして現在の日本の教育をどう見ていたのか。
彼の言葉そのものが、現代の私たちへの重いメッセージとなっています。
以下、該当記事より一部を抜粋・要約してご紹介します。
出典情報
• 媒体名: SHIKEN: JALT Testing & Evaluation SIG Newsletter. 14 (2) October 2010
• 記事タイトル: 偏差値の生みの親・桑田昭三氏へのインタビュー
• インタビュアー: ニューフィールズ・ティモシ
• 文: 齋藤典子
1. 開発のきっかけ:「教師の勘」への絶望
Q: 偏差値を生み出す直接的なきっかけは何でしたか?
桑田氏:
東京都の教員になって2年目、『志望校判定会議』が開かれた時のことです。
進学係の先生が「この生徒はまずは問題ないでしょう」「この生徒は1ランク下の学校に変更するよう指導すべきでしょう」と、判定結果を順次発表していました。
ところが、私が受け持つ生徒が、一番違いで「志望校変更」の宣告を受けてしまったのです。
私はその生徒に「君の力なら大丈夫! 心配せずに頑張れ!」と励ましたばかりでした。それを今さら「1点足りないから1ランク下げなさい」とは言えません。
私は夢中で「どうして? 論理的な説明をお願いします!」と食い下がりました。
しかし、進学係の先生から返ってきたのはこんな言葉でした。
「判定は、前年度までの合格状況と私たちの『勘』を総合した結果だとしか、説明できない。不服なら桑田先生こそ『論理的』に説明して頂きたい」
結局、その生徒は志望通りの学校を受験し、不合格になってしまいました。
その時の、生徒に対する贖罪の思いと、教師としての自分の不甲斐なさが、偏差値を生む原動力になったのです。「これでよいのか、お前も教え子たちも!」と。
2. 本来の目的:「1点の理不尽」を解明したかった
Q: 「偏差値」に関する先生のご研究はどのような成果を生み出されたのでしょうか?
桑田氏:
私は、「日本の教育評価を云々」というような大仰な考えで偏差値を編み出したわけではありません。
入試で子どもたちの明暗を決める、学力テストの『1点の差』が持つ意味や価値を解明しただけです。
しかし、私の研究は公共の学問・文化の発展にはわずかのお役にも立ち得ませんでした。
いや、お役に立てなかったどころか、詰込教育・拝点主義思想を助長した元凶として、文部省(現 文部科学省)から指弾される結果になってしまいました。
3. 日本の「異常」な教育風土について
Q: 「偏差値」の概念は他国でも広く使用されていますか?
桑田氏:
使われていないと思います。
それは、日本のように古くから「勉強して、いい学校を出なければ、出世はおぼつかない」という学歴主義の発想がよそにはないからでしょう。
入学試験が非常に厳しい台湾、中国、韓国でも偏差値は使っていません。
「親も子も上級学校への進学を学校の先生に頼り、先生もそれに応えるのが職務であるかのように思っている国」は、日本しかないのではないでしょうか。
多くの国では自己責任ですから、偏差値を使う必要もないのです。
4. 教育の本質:「評価」とは何か
Q: 偏差値を考案されてから、先生の教育評価に対する考えはどのように変わりましたか?
桑田氏:
偏差値を編み出すまでは、テストの「1点」はどの1点も同じ価値だと思っていました。しかし、それが毎回全く価値の違うものであることを知りました。
そして何より、「言葉(記号)で子供を教えられる」と思うのは、大人の思い上がりであることを痛切に感じました。
知識や技能の伝達が教育の全てではありません。
偏差値に関わるようになったお陰で、私はこう思うようになりました。
評価することは、褒めることと同じです。
「教育とは何か?」と問われたとき、今の私はこう答えます。
「教育って思いやりよ」、「教育とは願いよ」と。
【ブログ筆者より】
いかがでしたでしょうか。
「偏差値の父」と呼ばれた男が最後に辿り着いた境地が、「教育とは思いやりである」という言葉だったこと。この事実は、現代の教育システムの中で苦しむ私たちにとって、あまりにも皮肉で、かつ救いのあるメッセージではないでしょうか。
システムは冷徹ですが、それを作った人の心には、確かに生徒への「愛」がありました。
私たちが偏差値という数字に向き合うとき、この「原点の願い」を思い出せれば、少しだけ視界が変わるかもしれません。