大学選びとは イソップ物語の寓話『田舎のネズミと都会のネズミ』 すなわち、幸せは人それぞれという教訓の実践そのものである

大学選びとは イソップ物語の寓話『田舎のネズミと都会のネズミ』 すなわち、幸せは人それぞれという教訓の実践そのものである

「日本昔話」ですら昭和時代の遺物であるので、2500年前のイソップ物語なんて知っている若い方々は皆無かもしれませんが、イソップ物語の寓話『田舎のネズミと都会のネズミ』が漫画『チェンソーマン』で紹介されています。

あらすじは以下のとおりです。

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物語は、田舎に住むネズミが、都会に住む友人のネズミを訪ねるところから始まります。都会のネズミは、田舎のネズミに豪華な食事と快適な生活を見せつけます。彼らは様々な美味しい食べ物を楽しみ、都会の生活の豊かさを満喫します。

しかし、その楽しみも束の間、人間が現れると二匹のネズミは急いで隠れなければなりません。田舎のネズミは、都会の生活が豊かである一方で、常に危険と隣り合わせであることに気づきます。彼は、危険が少なく平和な田舎の生活の方が自分には合っていると感じ、都会の友人に別れを告げて田舎へ戻ります。

この物語の教訓は、「豊かさや快適さよりも安全と平和が重要である」ということを示しています。外見の華やかさや物質的な豊かさに惑わされず、本当に大切なものを見極めることの重要性を教えてくれます。

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したがって、地方に住むか・大都市圏に住むかは価値観しだいなのです。だから、みんなも価値観を大切にして進路選択を♬なんて言っておしまいにできたのが、平成中期までくらいでしょうか?

今の若い世代をみると、氷河期世代の私たちの時代の雰囲気と同じかそれ以上にシンドそうにも見えます。

時代は波を繰り返しますが、波の振幅がy軸の負の方向に平行移動しているようにも感じます。つまり、いいときなんてこないということ。

さて、その理由を簡単に箇条書きで。

▢ 岩手の少子化は異常でもうもたない。そもそも面積が本州一の県で人がいないんです。例えば、北上市だけの面積で東京23区は大体はカバーできる。それなのに。。
▢ 大卒求人がない、大卒求人があったとしてもほぼ高卒と同程度の待遇。冷静に考えて、大卒を岩手県の企業は欲していない。
▢ 大企業が存在しない。地銀とインフラ系のごく一部の企業のみ大卒待遇で迎え入れることができる。それ以外は裸一貫から企業をつくった家族経営企業。キミも同様の苦労を強いられるぞ。社員なのに。
▢ 土地も家も価値を失う。資産の価値がなくなっていく中で、さらにコミュニティーの維持も家族単位ですら維持ができなくなる。
▢ 仮に自分と娘・息子の世代は凌いでも、孫・ひ孫世代なら詰むだろう。それなら、人がいる地域に移動しておくのが自分の家族のためになる行動なのではないか。
▢ 短い人生、まずは自分の人生を謳歌するのに忙しい。自分ですら維持するのがムズイのに、岩手がどうのこうのなんて言ってられないのが実情。

等々、上記の問題は大学志望者が増え続ける時代では見えづらかったのです。

東北大学はすべて推薦入試に切り替える方針なので、他国と同様に大学は入れるけど卒業は難しく、しかも大卒はバカにされて大学院卒で一人前という文化になるかもしれません。となると、そもそも大学なんて行く意味ないだろうとなるでしょうね。それに付随して受験予備校化していた地方公立進学校の存在が不要となり、高校に入ることすら考え直した方がいいかもしれません。そんな世代が次か、その次あたりにはくるかと思います。負の側面が出やすい岩手が最先端となってです。他県や都会に答えはありませんよ。彼らは単なるこちらの傍観者です。自分たちは自分たちで守りましょう。

そんな先を考えずとも、最近は大学自身が生き残るというのが目的化して「大学は研究機関」という建前すら最近は目にしません。大学自身がコスパをアピールしだす節操のない時代。そして、個人としても人生40年だったのが最近になって100年となり、よりつじつまが合わせるのが難しい時代です。誰もが納得するような共通解は見出せない時代になっていますね。そして、一人ひとり、自分で答えを見つけ出す(決める)というのが難しい。。

ただし、私は私なりの答えを持っています。皆さんは皆さんで答えをお持ちの方々のようにですね。
それでよいのだと思います。ただし、もし、ご相談されたい方や価値観が似ていると思われる方は当塾・当予備校へ。

 

 

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