何となく分かっていましたけど、改めて比較してみると衝撃!!東京駅から大宮駅に行くのと、北上駅から石鳥谷駅に行くのはほぼ同じ距離

たびたび、話題として出している「情報がフラット化していくこと」について。

【日本人なんで、言語も情報も同じなら地域差なんて関係ないよね。】みたいなことになるかといえば、そこまでにはならないと思う。

なぜなら、その地域で生活していく中で育まれる空気感・価値観というものがあるから。

たとえば、東北本線で「北上ー石鳥谷」は間に2駅は挟む程度、車で行くと分かりますが、主要道は少しでも離れれば広大な田畑が広がり、その奥には奥羽の山々が隣の秋田県までずっと続きます。しかし、この「北上ー石鳥谷」間の距離を私たちは「近い」と感じているんです。なぜなら、買い物をするなら盛岡あたりまでいくことも多いので、石鳥谷あたりはまだ出発して間もない通過地点である場合がしばしばだからです。これが大都市圏なら、東京駅から大宮駅ぐらいまでの移動距離なんですね。つまり、駅と駅(市と市)の距離が、都と県くらいの距離感な訳です。

距離感1つをとってみたって、そこには共有できないくらいのレベルの感覚差があります。ですから、そういった感覚の集大成であるその土地の文化や慣習のレベルまで積みあがっていくと、やっぱりすごい違いになるだと思うんです。

 

だから、これからの私たちに必要なのは、「フラット化された情報を読み解くスキル」です。その情報源となる背景を十分に考慮に入れないと火傷するよ、ということかなと思います。これは【成功法則は個々のものであって、単に真似するだけでは失敗する】という事例とも通ずることだと思います。

ですから、情報や文章というのは、その背景も込みで読む解くようにしないと、鵜呑みしたり誤解したりしちゃうと思うんですね。逆にいうと、その背景にまで配慮できるようになると、読み取りに奥行が出たり、相手に優しく出来たりするのかなとも思います。